僕が初めての転職を行ったのは25歳の社会人2年目の時だった。
入社2年目。世間で言えば早い。いや、根性なしと言われる、いわゆる『せめて3年働け教』の人達にとっての短い期間だ。
社会人にとって3年間の勤続というのは、もはや"まじない"掛かった約束事であり、転職する際には大抵の企業がこれを重視する。
募集覧に載っていなくても、面接で聞かれなくても、採用する側の心には、どこか3年間という古からの判断基準があるようだ。
そんなことを重々理解しながら、僕はわりと当然のように転職を決意した。
25歳の新年。
僕は年末の激務を忘れ、かなり久々の休みを取っていた。
そもそも新年なのだから当然休む権利はあるとは思うのだが、うちの会社の労働基準では異なるようだ。
正月、久しぶりに会ういとこの息子と遊んでいた時だった。
「今度の広告の看板いつ頃設置でしたかね?」
クライアントからの電話だった。
もちろん僕が休みであることは知っている。だって新年だからな。
というかあなたも休みでしょうが。なぜこんな不愉快な電話を半笑いでかけてくる?
僕の仕事は広告の代理店業であり、クライアントの人達はまるでそれが普通というかのように僕らを便利屋ーーいや奴隷だろうーー扱いをしていた。
とても笑顔ではいられない僕だったが、染み付いた奴隷根性で、知っている限りの質問に答え、後は会社で確認すると対応した。
ホントは年末に全部あんたと確認した内容だけどな!
「そうですか。ではまたよろしくお願いします」
「かしこまりました」
(馬鹿か?)
「また、よろしくお願いします」
(もう次はないよ)
僕は転職のプランをを新年早々、本気で練ることにした。
転職はする。それは決まっている。
2年目だろうが貴重な20代をこんな所で浪費する気はない。
例え反対されても、相手を蹴倒して逃げ去るぐらいの覚悟はある。
しかしそれだけの強い意志がありながら、どうも転職先を決められずにいた。
片っ端から転職サイトを見たわけじゃない。
ただ、自分が本当に働きたい事、興味、自分のスキル、本気になれるものを徹底的に考え直し、仕事をリサーチした。
『会社を辞めたいという』という逃げの理由で取り急ぎの転職をしてしまうと、おそらく次の会社でもどうせ同じことになると思ったからだ。
真面目なのか不真面目なのか。
結論として、僕は地域の活性化の仕事に目をつけた。
『誰も僕を知らない場所でもう一度やり直す』
そんな幻想めいた考えもあったが、ある程度自分で業務を決められる部分に興味を惹かれたからだ。
会社に内緒で転職活動を行うのはスリルがあって正直楽しかった。
面接が鹿児島だった時は、夜通しフェリーに乗って月曜の朝そのまま職場に行ったり、
全員が帰宅していく中、履歴書を出すタイミングを伺ったり、
皮肉なことに在職中は一切見せる機会のなかったプレゼン能力を、上司への転職の言い訳にめいいっぱい使うこととなった。
ただ、勘違いしてほしくないのはこれだけこの会社のことを否定してるのに、不思議と嫌っている人などはいなかったってことだ。
上司はとにかく人より会社に居座るタイプの人で、そのせいで僕も違法な長時間労働を強いられることになったわけだが、この人はとにかく仕事への気遣いをしてくれる人で、僕のミスもフォローをしてくれる。
1年目のときの上司も引き続き飲み会に誘ってくれたし、年の近い先輩とは昼休みから夕方まで喫茶店でダラダラするのが常だった。
転職するということはこの人達を裏切ることになるのだろうか?
そんな考えを払拭するためにも、やはり本当にやりたい仕事を盲目的に探したのだと思う。
結果、退職は切りの良い3月末ということで話は纏まり、僕の履歴書には「就職歴2年」という項目が増えることとなった。
ただ、ここだけの話。
僕は転職する旨を上司に打ち明けたとき、転職先が決まったという体で話していた。
実際に採用の通知が来るのは4月以降。
つまりハッタリである。
しかし、転職先が決まっているのと決まっていないのでは、説得力には大きな違いがある。なにせ相手としても引き止めることができないからだ。
まあ僕が引き止める価値に値する社員であったかどうかといえば、何とも言えない。
こんな負の努力が身を結んだのか、4月には無事に採用通知が届いてくれた。
全速力で駆け抜けたが、正月に辞めると決めてからわずか3ヶ月。
上司に辞めると報告したのは2月頃。
まるでローラーの付いた滑り台を駆け下りるように、スムーズに僕は転職したのだ。
25際。
いわゆる、若者。
就職歴2年。
いわゆる、バカ者。
ただし、やり直すには十分すぎる年齢だろう。
周りがどう思おうが、自分のやりたいことに嘘をつけるほど僕は器用じゃない。
この文章を新卒の方々が読まないことを強く願っている。
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